ハートにモザイク

ライトに映ったシルエット

都会の夜の無機質な 煌めきじゃなくってさ

 

就活セミナーなどに参加する中で、自分の生活を「負けず嫌い」だと表現するひとをみかけるたびに、羨ましいな、と思っていました。わたしはその「負けず嫌い」ではないからです。

 


小学校の時は大抵のことは人並み以上にできました。まわりからは優等生と言われていたし、自分でも自負していました。塾に入っても何百人いる中で上から数えるほうが早い順位にいました。合唱会があれば自然と誰かがわたしを伴奏者に推薦し、わたしも伴奏をすることが当たり前だと思っていました。

中学生になり、ピアノの発表会に何度か出ているうちに自分よりもピアノがうまいひとが星の数ほどいることに気付きました。塾のテストの順位がだんだんと下がる度に自分が優等生ではなくなっていくことを感じました。わたしは特別の存在ではありませんでした。

 

そこで私は勉強を理由にピアノをやめました。数学はできないものとして、唯一できた国語を伸ばすことに決めました。そこでわたしは妥協という言葉を覚えたのです。そしてこの頃から劣等感と共に生きてきました。

 

行きたい高校がありました。確率は5分5分と言われたので確実に合格する高校に行きました。それなりの進学校に行って、大学も確実に受かると言われたそれなりの大学に行くことにしました。いつしかじゃんけんもグーしか出さないようになっていました。負けるかもしれないリスクを背負うくらいなら初めから戦うだけ無駄だと思ったからです。

 

多分、本当は「負けず嫌い」なのだと思います。だからこそわたしは戦うことから逃げてきました。「負けず嫌いではない」という鎧をまとうことに決めたのです。劣等感でできた穴をこれ以上広げたくありませんでした。

 

 

「負けず嫌い」ということは戦い続けることです。傷つくかもしれないけれど、傷ついたかもしれないけれど、それでも戦い続けることです。

 

ステージに立つアイドルは「負けず嫌い」でないと務まりません。

辛くてもぐっと踏ん張って、幸せを形容した笑顔できらきらを届けてくれます。

わたしがアイドルに羨望を向ける理由は、わたしが手放してしまったものを持ち続けてくれているからなのかな、と最近思うようになりました。


「負けず嫌い」のリングから降りた自分を心のどこかでずっと責めていました。でも、戦うことはできないけれど受け入れることならできるようになりました。 不器用だから両方をできることはできないけれど。その分受け入れることを精一杯やろうと思いました。案外こっちのほうがわたしがわたしらしくいられることにも気付きました。そう思い込んでいくうちに変化した、せざるを得なかっただけなのかもしれません。

戦い続けるアイドルを見るたびに、わたしも違う場所で違うカタチで戦っていこうと思います。


一等星にはなれなかったけれど、六等星としてしっかりと生きることがいまのわたしにできることだから。

常に自分至上最高の自分に!

シューカツ頑張ろう。頑張るしかないんだ〜〜〜〜